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ABAKUA
ABAKUA ってなんだろう?
RUMBAのFIESTAに遊びにいくと、そのお祭りの一番最後に出てくるなぞの布袋をかぶった人間。女子という理由で、仲間に入って踊れなかった思い出がいっぱい。

この映像はアグリジョというRUMBAバンドがマレコン(海)の側にあるディスコテカでLIVEをしたもの。映像は快適ではありませんが・・





ABAKUA【アバクア】とは

一般的には男子社交クラブ、または秘密結社みたいなものとされています。
または『ニャニィゴ』という名でも知られていて、『恐れを知らない勇敢な男』という意味でもあるようです。(www5.plala.or.jp/tokujiro/afrocuba/abakua/abakua.doc -より)
そのルーツは、アフリカ大陸ナイジェリアの南東、沿岸沿いからカメルーン南西部、赤道ギニアまでを支配していたカラバリ王国にあるようです。

CUBAでのABAKUAの広がり

CUBAに労働のためにアフリカから連れてこられた人々(奴隷)は、入植者から部族ごとに組織されたCABILDOを許されました。CABILDOとは、集会所であり、組織でもありました。その中で彼らは、歌うことや、踊ること、太鼓を叩くこと、自分たちの信仰を行うことが認められました。その結果、口承で伝えられたアフリカの伝統、文化が今なお途切れることなく、CUBA独自の文化の発展に大きな役割となっていきました。

19世紀初頭、アパパ・エフィクと呼ばれていたカラバリ出身者たちのCABILDOで、秘密に自分たちの信仰=ABAKUAをはじめたのが最初のようです。

カラバル王国の首都カラバリ地域からCUBAに来た人々は、Ekpe, Ngbe, Ugbe とそれぞれ異なる部族で、言語もスアマ(suama)語、オルガ(oluga)語、ビビィ語、、しかし彼らには共通する伝統的な習慣がありました。
その中の一つに、社会的権威をアピールする場面や戦争の時など、ここぞというときに武勇を象徴したような仮面をかぶり、太鼓と独特な動きで仲間意識を高めるたり、精神統一をしていたようです。

彼らはABAKUAの信条を受け継ぎ、他の異民族にも門戸を開き、助け合うことを大切にしていました。
そのために1840年には40以上ものグループが存在するようになっていたようです。

有名であったcabildoはマタンサス(Matanzas)『ビアバンガ(Biabanga)』
そして、GUANABACOA(グアナバコア)のCABILDO『バココ・エフォ(Bakok Efor)』
この地域はたくさんの奴隷の人たちが住まわされていた地域で、グアナバコアでは初めてのAFRO CABILDOが開かれた場所であり、SANTERIAなどの宗教の歴史がもっとも深いと言われる土地でもあります。

1863年12月24日、アンドレス・ペティ(Andres Petit)によって創設されたGUANABACOA(グアナバコア)のCABILDO『バココ・エフォ(Bakok Efor)』で初めて、黒人以外の人種(白人とムラート)を迎え入れました。
 しかし、ABAKUAのメンバーの多くのアフリカをルーツにもつ人々は自分達と同じようにアバクアに誓いを立てた、ヨーロッパをルーツに持つ人々やムラートの入会を拒否をしました。

その後、ABAKUAをめぐり、闘争が何度も起こりました。
しかしついに1872年、両者の間で和解が成立するのでした。それは、黒人の会員と白人の会員は、別々のCABILDOで活動をしていくというものでした。

ABAKUAのメンバーには、社会から阻害されている人(アフリカから連れてこられた人、階級の低いスペイン系の人たちやムラート)、ABAKUAの持つ信条に賛同し、入会する誠実なメンバーが多くいました。
しかし、「一度入会すれば、メンバーは兄弟であり、とことん守り、助け合う」という信条を逆手に取り、犯罪の捜査から逃れるために入会するメンバーが現れ、犯罪グループの温床となっていきました。
それが理由となり、人々の間で悪い評判が広がり、1876年8月27日、CABILDOは完全に禁止されたのでした

その後、革命、黒人奴隷の解放、国独自の文化の発展に力を注ぐ政策を進めてきたCUBA政府により、2005年12月、再び正式に認可されたようです。

  【7箇条の掟】

 1:秘密を守ること
 2:必要とあらばEkue (エクウェ)のために命を捧げること。
3:司祭を敬い、その他の『プラサ(Plaza)』(→ABAKUAの最終的な階級で、ABAKUAを仕切る人物である)を敬うこと。
 4:良い父であり、良い息子であり、母を敬うこと。
 5:エコビオ(Ekobio)(同胞)に対して良い兄弟であれ。そして互いに必要なときはいつでも守り合い、助け合うこと。
 6:エコビオの妻を敬うこと。
 7:勇敢であること。女々しくならず、また見栄を張らないこと。
   だれからも殴られっぱなしにならないこと。少なくとも女性からは。

この他にも、様々な規定が存在したようです。

この規定を守れる者であれば、泥棒でも人殺しでも他の宗教の信者でも、だれでも入会することが出来ました。

参考;
www5.plala.or.jp/tokujiro/afrocuba/abakua/abakua.doc -
http://en.wikipedia.org/wiki/Abaku%C3%A1



| - | 17:46 | - | - |
大は小を上回る。
(大は小を兼ねる)といいますが、この場合何を兼ねてるのでしょうか?



私も大きくなりたい。
| - | 15:31 | - | - |
HARUKO
ダンスパートナーのHARUKO、私たちは高校生の頃CULBで出会って、今もCULBで遊んでいます。
 REGGAEというスペルを何度も間違えながら、ちゃんと書けるようになった今の今まで、一緒に踊っています。

今年JAMAICAで行われたInternational Dancehall Queen 2009 JamaicaにHARUKOが出場したときの映像です。



REGGAE音楽が好きで、ダンスが好きで、JAMAICAまで踊りに行っちゃってました。
ニューダンスの名前とか、リズムの名前だとか、最近まで知らなかったんじゃないかな。この人。だって、そのほうが自然だから。
踊り見て、面白いからまねしてみて、気がついたら××って呼ばれてた・・的な。
高校生の頃から変わらない愛を持ち続けているHARUKOに万歳女

ついでにREGGAE MUSICつながりで、私の好きなUPTON TOP RANKINGの映像です



| - | 01:21 | - | - |
COOPERATION☆
11月5日、イベントCOOPERATION(コーペレーション)に参加してきました。

STAX GROOVE のSHUNさんがORGANAIZするCOOPERATIONは、BEBOPを愛するダンサーが集い、JAZZを愛するミュージシャン・DJが空間を演出しています。
ダンス、音楽、スーツ姿の男子好きなら誰でも参加でき、勇気のある人なら自分の表現をジャンルに関係なくアピールできるジョギングそんな場所です。


イベントの目玉はバトル。人を蹴落とすためのバトルではありません。バトルしながら、新しい自分と出会い、相手の新しい何かをひきだす。その瞬間に居合わせなかったらもったいない。VIDEOでは見れない、それがバトルです。
この日のイベントでは
SOUND CREAM STEPPERZ VS BOP FIVE
BOPBATTLE が繰り広げられていました。何がおもしろいって、正真正銘の大人が白熱してSTEPする姿。普通ではありません。見たほうが得します。

TAPではSUJIさんと群青さんのSHOWが・・久しぶりにお会いできる場所がダンス好きの集まるイベントって、何年たってもダンスでトークできるのは、幸せですね。

私はこの日、仲間とSHOWをさせてもらいました。
私たちなりのRUMBAをそれとなくやってみようということで、(VO)MICHIKO(PER)HAGI KOTA URI BOBA 、そして私です。
途中でGOTOさん(SOUND CREAM STEPPERZ)がでてきます。  
映像をアップしました。RUMBAよりYAMBO 踊りの内容は少し脱線してますが・・はじまり、はじまり

| - | 15:31 | - | - |
つわもの!
海外に行くと、その存在に驚かされるのが、現地で何世代かにわたり生活を築いている日本人の方。
海外においてアジア系といえば、やはり第一に中国から来た移民の方たち。きっと海外に行ったことがある人なら、ほとんどの国で中華街が存在し、日本人の方たちの台所として大活躍していることを知っていると思います。中華街で餃子をほおばる度に感動し、この人たちの生命力ってとんでもないなって。。
しかしわが国ハポンからも少数ではありますが、先人達が海を渡っていったわけです。
 もちろんCUBAも例外ではありません。1914年には約60人の日本人がいましたが新たに67人が加わり、サンタ・クララとトリニダーの周辺に定住していったようです。(参考http://lovecuba.org/knowcuba/japanandcuba.html#immigrant)

1916年以降、262人の日本人が到着しました。ほとんどの人がサトウキビの収穫を職にしていました。しかし、日本人への風当たりはとても強く、幾人かを日本に帰らせるほどでした。幾人かはHABANAから船で2時間くらいのピノス島(現Isla de la joventud)に移り、そこで果物と野菜の農園を建設しました。(WIKIPEDIA)

日本人たちは、決められた地域に留まることなく、ピノス島の他に、キューバの旧行政6州、46町村にまたがり島全土に住んでいたようです。農業以外にも、漁業、園芸、機械、鉱業、といった様々な仕事に従事していたようです。(参考になりすぎです。このサイト:http://lovecuba.org/knowcuba/japanandcuba.html#immigrant
)



実際私もほんの少しではありますが、日系の方と触れ合う機会を得ました。cubaで生き抜いてきた何かをその存在で伝えていただいたように思います。
沖縄からcubaに渡った日系の方達のドキュメンタリー。‘サルサとチャンプル‘という映画を一年ほど前に見に行ったのを覚えています。

http://www.cuba-okinawa.com/

この映画の主題歌を沖縄のSALSA`バンドkACHIMBA(カチンバ)が担当しています。cubaで一番はじめに友達になった歌手でありダンサーの沖縄在住shihoko★彼女は歌で参加しているようです。この人は根っから明るくて、あほで愛がある。最高に気持ちのいい‘あ‘を3つも持ってます。最近は何をしてるのか・・沖縄は遠いな〜

http://www.kachimba1551.com/

さて遂に本題ですが


この本、去年NHKの書籍紹介番組で見かけて以来ずっと読んでみたかったもの。ついに・・・YES!

そしてこれは、続編らしいのです。



この本の軽い説明をひっぱってきました。

シンガポールに初めて定住した日本人・音吉は、船が難破して北米沿岸に漂着。南米ホーン岬、アフリカ喜望峰を回って世界一周をし、日本に戻った。しかし、鎖国政策の幕府に追い返されてシンガポールに落ち着くという波瀾万丈のドラマ。

日本人女性として初めてアメリカ本土に上陸した江戸・柳橋の人気芸者・小染。

1866年のパリ万国博覧会で、日本情緒を振りまいた3人のゲイシャガール

ポルトガル商人に買われて
世界各地に散って行った「からゆきさん」や日本人奴隷の実態も、随所に出てくるようです。(労働力としての人の移動は、室町時代にはすでに存在していましたが、中世においては、男女を奴隷として輸出する場合があったようです。こうした事態を防止する方法のひとつとして鎖国政策があげられています。明治維新後の開国後、勇気のある日本人が再び海を渡っていくのです。)

当時の彼らの勇気、つわものぶりをみると、私の勇気なんて本当にふざけてますグッド

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