2009.11.11 Wednesday
ABAKUA
ABAKUA ってなんだろう?
RUMBAのFIESTAに遊びにいくと、そのお祭りの一番最後に出てくるなぞの布袋をかぶった人間。女子という理由で、仲間に入って踊れなかった思い出がいっぱい。
この映像はアグリジョというRUMBAバンドがマレコン(海)の側にあるディスコテカでLIVEをしたもの。映像は快適ではありませんが・・
ABAKUA【アバクア】とは
一般的には男子社交クラブ、または秘密結社みたいなものとされています。
または『ニャニィゴ』という名でも知られていて、『恐れを知らない勇敢な男』という意味でもあるようです。(www5.plala.or.jp/tokujiro/afrocuba/abakua/abakua.doc -より)
そのルーツは、アフリカ大陸ナイジェリアの南東、沿岸沿いからカメルーン南西部、赤道ギニアまでを支配していたカラバリ王国にあるようです。
CUBAでのABAKUAの広がり
CUBAに労働のためにアフリカから連れてこられた人々(奴隷)は、入植者から部族ごとに組織されたCABILDOを許されました。CABILDOとは、集会所であり、組織でもありました。その中で彼らは、歌うことや、踊ること、太鼓を叩くこと、自分たちの信仰を行うことが認められました。その結果、口承で伝えられたアフリカの伝統、文化が今なお途切れることなく、CUBA独自の文化の発展に大きな役割となっていきました。
19世紀初頭、アパパ・エフィクと呼ばれていたカラバリ出身者たちのCABILDOで、秘密に自分たちの信仰=ABAKUAをはじめたのが最初のようです。
カラバル王国の首都カラバリ地域からCUBAに来た人々は、Ekpe, Ngbe, Ugbe とそれぞれ異なる部族で、言語もスアマ(suama)語、オルガ(oluga)語、ビビィ語、、しかし彼らには共通する伝統的な習慣がありました。
その中の一つに、社会的権威をアピールする場面や戦争の時など、ここぞというときに武勇を象徴したような仮面をかぶり、太鼓と独特な動きで仲間意識を高めるたり、精神統一をしていたようです。
彼らはABAKUAの信条を受け継ぎ、他の異民族にも門戸を開き、助け合うことを大切にしていました。
そのために1840年には40以上ものグループが存在するようになっていたようです。
有名であったcabildoはマタンサス(Matanzas)の『ビアバンガ(Biabanga)』
そして、GUANABACOA(グアナバコア)のCABILDO『バココ・エフォ(Bakok Efor)』
この地域はたくさんの奴隷の人たちが住まわされていた地域で、グアナバコアでは初めてのAFRO CABILDOが開かれた場所であり、SANTERIAなどの宗教の歴史がもっとも深いと言われる土地でもあります。
1863年12月24日、アンドレス・ペティ(Andres Petit)によって創設されたGUANABACOA(グアナバコア)のCABILDO『バココ・エフォ(Bakok Efor)』で初めて、黒人以外の人種(白人とムラート)を迎え入れました。
しかし、ABAKUAのメンバーの多くのアフリカをルーツにもつ人々は自分達と同じようにアバクアに誓いを立てた、ヨーロッパをルーツに持つ人々やムラートの入会を拒否をしました。
その後、ABAKUAをめぐり、闘争が何度も起こりました。
しかしついに1872年、両者の間で和解が成立するのでした。それは、黒人の会員と白人の会員は、別々のCABILDOで活動をしていくというものでした。
ABAKUAのメンバーには、社会から阻害されている人(アフリカから連れてこられた人、階級の低いスペイン系の人たちやムラート)、ABAKUAの持つ信条に賛同し、入会する誠実なメンバーが多くいました。
しかし、「一度入会すれば、メンバーは兄弟であり、とことん守り、助け合う」という信条を逆手に取り、犯罪の捜査から逃れるために入会するメンバーが現れ、犯罪グループの温床となっていきました。
それが理由となり、人々の間で悪い評判が広がり、1876年8月27日、CABILDOは完全に禁止されたのでした
その後、革命、黒人奴隷の解放、国独自の文化の発展に力を注ぐ政策を進めてきたCUBA政府により、2005年12月、再び正式に認可されたようです。
【7箇条の掟】
1:秘密を守ること
2:必要とあらばEkue (エクウェ)のために命を捧げること。
3:司祭を敬い、その他の『プラサ(Plaza)』(→ABAKUAの最終的な階級で、ABAKUAを仕切る人物である)を敬うこと。
4:良い父であり、良い息子であり、母を敬うこと。
5:エコビオ(Ekobio)(同胞)に対して良い兄弟であれ。そして互いに必要なときはいつでも守り合い、助け合うこと。
6:エコビオの妻を敬うこと。
7:勇敢であること。女々しくならず、また見栄を張らないこと。
だれからも殴られっぱなしにならないこと。少なくとも女性からは。
この他にも、様々な規定が存在したようです。
この規定を守れる者であれば、泥棒でも人殺しでも他の宗教の信者でも、だれでも入会することが出来ました。
参考;
www5.plala.or.jp/tokujiro/afrocuba/abakua/abakua.doc -
http://en.wikipedia.org/wiki/Abaku%C3%A1
RUMBAのFIESTAに遊びにいくと、そのお祭りの一番最後に出てくるなぞの布袋をかぶった人間。女子という理由で、仲間に入って踊れなかった思い出がいっぱい。
この映像はアグリジョというRUMBAバンドがマレコン(海)の側にあるディスコテカでLIVEをしたもの。映像は快適ではありませんが・・
ABAKUA【アバクア】とは
一般的には男子社交クラブ、または秘密結社みたいなものとされています。
または『ニャニィゴ』という名でも知られていて、『恐れを知らない勇敢な男』という意味でもあるようです。(www5.plala.or.jp/tokujiro/afrocuba/abakua/abakua.doc -より)
そのルーツは、アフリカ大陸ナイジェリアの南東、沿岸沿いからカメルーン南西部、赤道ギニアまでを支配していたカラバリ王国にあるようです。
CUBAでのABAKUAの広がり
CUBAに労働のためにアフリカから連れてこられた人々(奴隷)は、入植者から部族ごとに組織されたCABILDOを許されました。CABILDOとは、集会所であり、組織でもありました。その中で彼らは、歌うことや、踊ること、太鼓を叩くこと、自分たちの信仰を行うことが認められました。その結果、口承で伝えられたアフリカの伝統、文化が今なお途切れることなく、CUBA独自の文化の発展に大きな役割となっていきました。
19世紀初頭、アパパ・エフィクと呼ばれていたカラバリ出身者たちのCABILDOで、秘密に自分たちの信仰=ABAKUAをはじめたのが最初のようです。
カラバル王国の首都カラバリ地域からCUBAに来た人々は、Ekpe, Ngbe, Ugbe とそれぞれ異なる部族で、言語もスアマ(suama)語、オルガ(oluga)語、ビビィ語、、しかし彼らには共通する伝統的な習慣がありました。
その中の一つに、社会的権威をアピールする場面や戦争の時など、ここぞというときに武勇を象徴したような仮面をかぶり、太鼓と独特な動きで仲間意識を高めるたり、精神統一をしていたようです。
彼らはABAKUAの信条を受け継ぎ、他の異民族にも門戸を開き、助け合うことを大切にしていました。
そのために1840年には40以上ものグループが存在するようになっていたようです。
有名であったcabildoはマタンサス(Matanzas)の『ビアバンガ(Biabanga)』
そして、GUANABACOA(グアナバコア)のCABILDO『バココ・エフォ(Bakok Efor)』
この地域はたくさんの奴隷の人たちが住まわされていた地域で、グアナバコアでは初めてのAFRO CABILDOが開かれた場所であり、SANTERIAなどの宗教の歴史がもっとも深いと言われる土地でもあります。
1863年12月24日、アンドレス・ペティ(Andres Petit)によって創設されたGUANABACOA(グアナバコア)のCABILDO『バココ・エフォ(Bakok Efor)』で初めて、黒人以外の人種(白人とムラート)を迎え入れました。
しかし、ABAKUAのメンバーの多くのアフリカをルーツにもつ人々は自分達と同じようにアバクアに誓いを立てた、ヨーロッパをルーツに持つ人々やムラートの入会を拒否をしました。
その後、ABAKUAをめぐり、闘争が何度も起こりました。
しかしついに1872年、両者の間で和解が成立するのでした。それは、黒人の会員と白人の会員は、別々のCABILDOで活動をしていくというものでした。
ABAKUAのメンバーには、社会から阻害されている人(アフリカから連れてこられた人、階級の低いスペイン系の人たちやムラート)、ABAKUAの持つ信条に賛同し、入会する誠実なメンバーが多くいました。
しかし、「一度入会すれば、メンバーは兄弟であり、とことん守り、助け合う」という信条を逆手に取り、犯罪の捜査から逃れるために入会するメンバーが現れ、犯罪グループの温床となっていきました。
それが理由となり、人々の間で悪い評判が広がり、1876年8月27日、CABILDOは完全に禁止されたのでした
その後、革命、黒人奴隷の解放、国独自の文化の発展に力を注ぐ政策を進めてきたCUBA政府により、2005年12月、再び正式に認可されたようです。
【7箇条の掟】
1:秘密を守ること
2:必要とあらばEkue (エクウェ)のために命を捧げること。
3:司祭を敬い、その他の『プラサ(Plaza)』(→ABAKUAの最終的な階級で、ABAKUAを仕切る人物である)を敬うこと。
4:良い父であり、良い息子であり、母を敬うこと。
5:エコビオ(Ekobio)(同胞)に対して良い兄弟であれ。そして互いに必要なときはいつでも守り合い、助け合うこと。
6:エコビオの妻を敬うこと。
7:勇敢であること。女々しくならず、また見栄を張らないこと。
だれからも殴られっぱなしにならないこと。少なくとも女性からは。
この他にも、様々な規定が存在したようです。
この規定を守れる者であれば、泥棒でも人殺しでも他の宗教の信者でも、だれでも入会することが出来ました。
参考;
www5.plala.or.jp/tokujiro/afrocuba/abakua/abakua.doc -
http://en.wikipedia.org/wiki/Abaku%C3%A1
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