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つわもの!
海外に行くと、その存在に驚かされるのが、現地で何世代かにわたり生活を築いている日本人の方。
海外においてアジア系といえば、やはり第一に中国から来た移民の方たち。きっと海外に行ったことがある人なら、ほとんどの国で中華街が存在し、日本人の方たちの台所として大活躍していることを知っていると思います。中華街で餃子をほおばる度に感動し、この人たちの生命力ってとんでもないなって。。
しかしわが国ハポンからも少数ではありますが、先人達が海を渡っていったわけです。
 もちろんCUBAも例外ではありません。1914年には約60人の日本人がいましたが新たに67人が加わり、サンタ・クララとトリニダーの周辺に定住していったようです。(参考http://lovecuba.org/knowcuba/japanandcuba.html#immigrant)

1916年以降、262人の日本人が到着しました。ほとんどの人がサトウキビの収穫を職にしていました。しかし、日本人への風当たりはとても強く、幾人かを日本に帰らせるほどでした。幾人かはHABANAから船で2時間くらいのピノス島(現Isla de la joventud)に移り、そこで果物と野菜の農園を建設しました。(WIKIPEDIA)

日本人たちは、決められた地域に留まることなく、ピノス島の他に、キューバの旧行政6州、46町村にまたがり島全土に住んでいたようです。農業以外にも、漁業、園芸、機械、鉱業、といった様々な仕事に従事していたようです。(参考になりすぎです。このサイト:http://lovecuba.org/knowcuba/japanandcuba.html#immigrant
)



実際私もほんの少しではありますが、日系の方と触れ合う機会を得ました。cubaで生き抜いてきた何かをその存在で伝えていただいたように思います。
沖縄からcubaに渡った日系の方達のドキュメンタリー。‘サルサとチャンプル‘という映画を一年ほど前に見に行ったのを覚えています。

http://www.cuba-okinawa.com/

この映画の主題歌を沖縄のSALSA`バンドkACHIMBA(カチンバ)が担当しています。cubaで一番はじめに友達になった歌手でありダンサーの沖縄在住shihoko★彼女は歌で参加しているようです。この人は根っから明るくて、あほで愛がある。最高に気持ちのいい‘あ‘を3つも持ってます。最近は何をしてるのか・・沖縄は遠いな〜

http://www.kachimba1551.com/

さて遂に本題ですが


この本、去年NHKの書籍紹介番組で見かけて以来ずっと読んでみたかったもの。ついに・・・YES!

そしてこれは、続編らしいのです。



この本の軽い説明をひっぱってきました。

シンガポールに初めて定住した日本人・音吉は、船が難破して北米沿岸に漂着。南米ホーン岬、アフリカ喜望峰を回って世界一周をし、日本に戻った。しかし、鎖国政策の幕府に追い返されてシンガポールに落ち着くという波瀾万丈のドラマ。

日本人女性として初めてアメリカ本土に上陸した江戸・柳橋の人気芸者・小染。

1866年のパリ万国博覧会で、日本情緒を振りまいた3人のゲイシャガール

ポルトガル商人に買われて
世界各地に散って行った「からゆきさん」や日本人奴隷の実態も、随所に出てくるようです。(労働力としての人の移動は、室町時代にはすでに存在していましたが、中世においては、男女を奴隷として輸出する場合があったようです。こうした事態を防止する方法のひとつとして鎖国政策があげられています。明治維新後の開国後、勇気のある日本人が再び海を渡っていくのです。)

当時の彼らの勇気、つわものぶりをみると、私の勇気なんて本当にふざけてますグッド

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